デジタル時代の写真のあり方について考えてみる

今日は出張先からの更新です。

最近デジタル「写真」のあり方について考えることが多くなってきたので、自分なりの写真感を書いてみようと思います。

もちろん人によって違いますので、100人いたら100通りの考え方や思いがあって当然です。

むしろ、絶対に答えが出ない迷路のような話かな?とも思います。もし、感じることがあればコメントいただければと思います。

僕が考えるデジタル写真

フィルム時代を生きた写真家の方からすれば、今の高性能なデジタルカメラをどう思うでしょうか?
光の情報はデジタル信号に変換され、データとして保存されます。
何枚でも撮り直しできますし、ソフトを使うとホワイトバランス、露出、彩度、輝度、シャープネス、ノイズ、何でも後で調整ができて、しまいには合成まで簡単にできてしまいます。

もちろんコテコテのレタッチや合成を嫌う人も多いかと思いますが、これからの時代はそれも少し変わってくるような気がしています。

デジタルが主流になった以上、できることは全て作品として評価されるべきだと思いますし、SNSなんかを見ていると、それも大分浸透してきているように見えます。
言ってしまえばrawデータは作品を作る上での素材でしかないかもしれません。
だからこそ、しっかりとした技術で完成度の高い素材を残すことが大切になり、現場での色、空気感は出来るだけ頭に焼き付けておく必要があります。

どんな加工や合成をしていたとしても、その写真が世間に評価されたら立派な作品です。それは風景写真でも全く同じことが言えると思います。
露出ブレンド、被写界深度合成や比較明合成なんかも今や必須のスキルになってきましたよね。
たまに同じ三脚の上で固定された素材であれば合成してもok!のような定義もネットで見かけますが、僕はそこにあまり意味はないと思っています。

出来ることをやらないのは非常に勿体ないです。

今後も色々なデジタル技術が登場してくると思いますが、先ずはそれを理解し、実践して自分の写真に必要か必要じゃないかをしっかり判断していけるようになりたいです。

そんな中でも、ナショジオは過度のレタッチ・合成がNGとなっていますよね。それは「現在」今起こっている自然現象を記録するという要素が強いからのような気がします。
コテコテに弄る必要もなく、出来るだけ自然のありのままの素晴らしさを伝えていることに価値があるのかもしれません。

だらだらと書いてきましたが、要は自分が今のデジタルの技術でどの様な表現がしたいのか。これに尽きると思います。
インスタなんかでは、見ただけであの人の写真だ!とわかる人も数名いらっしゃいます。

そんな個性のある写真を撮ることができるようになりたいです^ ^

まとめ

デジタル化のおかげで、「写真」の楽しみ方は無限に広がったように思います。
今後も色々なことにどんどん挑戦して自分なりの楽しみ方を見つけていきたいです!

余談ですが、僕が風景写真を撮る上で大好きな瞬間があります。自然界が作りだす音と、自分の呼吸だけの世界で無心でシャッターを切る時です。
マニアックすぎますか?共感してくれる人は意外と多いのでは?と思ってます^ ^

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